世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか? これがこの本の基本的なテーマ。著者は15年に及ぶ詳細な実証研究を積み上げ、その答を提示する。厳密な理論と実証による堅固なものだ。答は、地理的なものでも、気候的なものでも、文化でも、あるいは為政者の無知でもなく、ましてや病原菌などによるものでもない。「政治・経済制度」なのだ、という。
アフリカやラテンアメリカ諸国でどうして経済発展が進まないのか〔逆に退歩していったのか〕多くの実例を挙げて「彼ら〔支配階級〕にとって進歩しない方が合理的な判断だったから」ことを説明する。現場で働いたことのある人間ならものすごく納得するだろう。説得力ありすぎ。とても悲観的になる。ルソー信奉者やリベラルな博愛主義者は真っ赤になって怒ること必定。でも彼らも反論できないだろう。真実は真実であるから。
同時にこの本は極めて楽観的にも見える。問題は政治・経済制度にあるのだから一発クーデターをやって憲法を変えればいいだけの話、と見えるのだ。ところがそうは簡単に行かない。古い制度(著者は「収奪的制度 (Extractive institions}と呼ぶ〕」には強固な自己再生能力があり、表面的な変更はすべて無駄になるように出来ているのである。
著者が言う良い制度は(「包括的制度 (Inclusive institions)」と著者は呼ぶが)多元的な市場主義とでも思えばいいが、具体的にその包括的制度のもとで発展を遂げた国はアングロサクソン諸国しかない。著者はフランスが革命後包括的な制度に移行したと言うが厳密に考えれば旧制度はあまり変わっていない〔トクヴィルもそう書いている〕。日本を旧制度から脱出に成功した例として挙げているが、明治維新は確かに革命的であったにせよ、社会制度はより多元的になるどころか一元化し、中央収奪的な経済発展が志向された。現在でも既得権を握る集団による収奪的制度が堅持されている〔日本の場合に収奪が意識されないのは収奪する方が多数派であるため。人口の54%が既得権受益者との計算もある。しわ寄せは若年層と将来世代に集中する〕。
収奪的制度下でありながら短期間は生産要素投入量依存型〔技術進歩なしで〕の経済成長を実現させることは可能。これはソ連とナチスドイツ、さらには最近の中国だという。著者はこれは永続できない経済発展型式であると断定している。さすれば日本を成功例として挙げるのはどうかとも思う。著者の理屈をそのまま援用すれば、日本のバブル後の長期停滞は、必然性のある歴とした筋が通った話ということになるからである。
さらに、著者はイギリスの発展〔産業革命〕の転機は1688年の名誉革命だと何度も述べるが〔あたかも名誉革命を真似すればすべてうまく行くかのような錯覚を与える表現だが〕、著者も十分承知しているようにイギリスの制度改革は13世紀のマグナカルタに始まるものであり、そのベースには少数のノルマン征服王朝に支配されたアングロサクソン貴族の自立心がある。イギリスの制度改革は一朝一夕になされたものではなく、また人類史的に見ても極めて例外的な事例なのである。真似しようとしても真似できるものではない。
要は、この本の結論は、一見楽観的に見えるものの、アングロサクソン文化を共有しない地域では著者の言う包括的制度の確立による好循環の経済発展は無理だということとも十分に読めるのである。あらら。
最近の歴史統計学の進歩により、ローマ時代から現代までの世界の一人あたり所得の推移がわかるようになっている。一人あたり実質所得では18世紀前半までほとんど変わらなかった。つまり歴史的に人類史においてはこの「収奪的制度」が長く支配的であり、いまでも支配的なのである。産業革命とそれに伴う所得の激増は極めて例外的で一時的な突発事件として考える方がいいのかも知れない。まさに議論を呼ぶ本である。
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